LGBTと憲法 石川裕一郎教授LGBTと憲法 石川裕一郎教授

政治経済学部 政治経済学科

石川 裕一郎教授

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憲法第24条は、
同性婚を否定している?

2015年、東京都の渋谷区と世田谷区を皮切りに、同性パートナーシップ制度の導入が札幌市、宝塚市、那覇市など、全国の地方自治体へと広がりつつあります。これは、性的マイノリティの方々を取り巻く状況を一歩良い方向へ変える画期的な動きです。ただし、この制度は婚姻制度とは異なり、同性カップルに夫婦と同じ地位を認めるものではありません。

では、日本では「同性婚が禁止されている」のでしょうか?婚姻など家族に関する基本的なルールの多くは民法に示されていますが、それを見る限り、同性婚を禁ずる条文は全くありません。そもそもどの条文も同性婚には触れていないので、正しくは「日本の法制度は同性婚を認めてはいないが、禁止もしていない」のです。とはいえ、今の日本で同性同士のカップルが市役所に婚姻届を提出しても、残念ながら「戸籍上同性である」という理由から受理されません。それはやはり、法律に同性婚を認める明確な規定が無いからなんですね。では同性婚を認める法律を、という声が上がったとき、議論の場によく持ち出されるのが憲法第24条第1項の「婚姻は、両性の合意にのみ基づいて成立[する]」という条文です。

憲法第24条は、同性婚を否定している?憲法第24条は、同性婚を否定している?

これを、同性婚を法的に認めることに消極的な現在の政府や与党は、「『両性』とは二つの性、つまり男性と女性のことだから、憲法は異性カップルに対象を限定しており、同性カップルは除外されている」と解釈するのですが、私を含め多くの憲法学者、民法学者、法律家たちはそれは間違いとする立場をとっています。理由として挙げられるのは、この条文の目的が「家長制度の否定」であること。戦前は原則として婚姻に家長(多くの場合父親)の同意が必要で、どんなに結婚を望む二人であっても、父親が認めない限り夫婦にはなれなかったんですね。戦後、憲法は「愛し合う二人の双方が望んでいれば、たとえ親が反対していても結婚して良い」ということを定め、それを否定しています。

つまりここで言う「両性の合意にのみ基づいて」というのは「二人の合意以外、何の要件も必要ない」といった意味なんですね。だから、今の憲法は同性婚を否定してはいないと解釈する方が理に適っていると言えます。たとえ憲法を改正しなくても、現行の民法に同性婚を明確に認める条文がひとつ加えられれば、同性婚を認めるための法的な制度を整えることは可能なのです。

国家の根本規範である憲法を、
誰もが生きやすい社会をつくる糸口に。

地域と時代に関係なく、いわゆるLGBTの割合は、全体の7〜8%と言われています。この割合はわかりやすい例で言うと、左利きや血液型がAB型の人と同じくらい。少数派ではありますが、決して特別珍しくはないですよね。おそらくあなたの知り合いやご家族にも、左利きやAB型の方はいらっしゃると思います。それと同じくらいの頻度で、LGBTの方と出会ってもおかしくないのです。でも、学生にその話をすると「自分の周りにはひとりもいない、出会ったことがない」と口にする者がほとんどです。それは本当に“いない”のではなく、“いるのに見えていない”から。もちろんカミングアウトは個人の自由であり、絶対に強制されるものではありません。性的マイノリティの当事者ではなく、「異性を好きになる」という一つの型にはまらなければ「普通」ではない、と捉えられやすい社会に問題があるのです。そこもこれから変えていかなくてはいけません。

異性愛者の方にも、自分が自然に抱く気持ちや、好きな相手との幸せな関係を、それが誰ひとり傷つけていないにもかかわらず隠さなくては穏やかに暮らせないことの辛さは想像がつくのではないでしょうか。同性愛者の方々は、日常的にその状態に置かれているのです。「自分は同性愛者ではないから関係ない」ということではありません。同じ社会で生きている私たちは、そこにある生きづらさに気がついて、「これはおかしい」と声を上げなくてはいけないと思います。同性愛者の方が生きやすい社会、言い換えれば誰かを愛するという気持ちを一つの型にはめこまない社会は、間違いなく異性愛者を含めた全ての人にとって生きやすい社会です。婚姻という制度を、もっと開かれたものにすることを認めたところで、誰も不幸にはならないのです。

同性愛者であれ異性愛者であれ、私たち一人ひとりが幸せになる権利を国家が奪うことは許されない。その根拠になるのが、国家権力を適切にコントロールするルールである憲法です。先ほどお話ししたように、憲法第24条は同性婚を否定していないと解釈する方が自然ですし、第13条は全ての国民が個人として尊重され、幸福追求権を保障されると定めています。ここで大事なのは、「幸福」の中身について憲法は全く言及していないこと。つまり、「何が幸福かは国が決めることではなくて、各自が決めること」なのです。国家権力は、公共の福祉に反しない限り、それを最大限守らなければいけない。同性愛者であっても、心と身体の性が異なっていても、憲法はそれを否定するどころか、守ってくれている。憲法は一人ひとりのありのままの生き方を尊重しているということを、憲法学者としてもっと広めていきたいと思っています。

国家の根本規範である憲法を、誰もが生きやすい社会をつくる糸口に。国家の根本規範である憲法を、誰もが生きやすい社会をつくる糸口に。

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