「漢字」が秘める物語×濱田寛教授「漢字」が秘める物語×濱田寛教授

人文学部 日本文化学科

濱田 寛教授

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「鬼(おに)」は、どこからやってきた?

文章の中で深く意識せずに使う「鬼」という漢字。「おに」と読むのは、音読み(中国語由来)・訓読み(日本語由来)どちらでしょうか?「『鬼』という字のもうひとつの読み方、『キ』は確実に音読みだから、『おに』は訓読み」?…だとすると、「おに」は和語で、「鬼」という漢字が中国から伝わる前から、日本には「おに」がいた、ということになりますね。和語があるということは、その言葉で表象される何かがもともと日本にあったということ。例えば「山」という漢字は「サン」という音と一緒に伝わり、古代日本人が「『山』は私たちが『やま』と呼ぶものと同じ」と理解することで「やま」という訓読みをつけたのです。

さて、同じ話を「鬼」ですると、なんとも奇妙なことが起こります。まず中国から「鬼(キ)」という漢字が伝わる。当時の日本人が「鬼(キ)」とは何であるかを理解しようとする。「鬼(キ)」が意味するのは、妖怪…ではなく、この文字に表象されているものは今で言うゾンビのような「動く死体」なんですね。ところが、古代日本に「動く死体」に相当する概念は存在しておらず、従って「鬼」は訓読みでの翻訳不可能ということになります。「おに」は単純につけられた読みではないのです。

「『鬼(キ)』はどうやらとても怖い、邪悪なもの」と理解した日本人が、それに相当するものと考えたのが「もののけ(物の怪)」でした。「物の怪」は「物の気」の意であり、「漠然とした気配」が原義です。古代の日本人が恐怖の対象としていたのは明確な姿を持つものではなく、物陰にいる見えない「何か」で、それを「穏に(おんに)」と呼んでいました。その「おんに」がいつしか「おに」に変化し、翻訳不可能だった「鬼」の読みとして当てられたのです。「鬼(おに)」は目に見えない存在だったんですね。江戸時代以前の絵巻物には多くの「鬼」が描かれていますが、「目に見えないもの」を視覚化しているため、全てぶよぶよとした曖昧な輪郭をしています。

「漢字」が秘める物語×濱田寛教授

私たちがよく思い浮かべる頭に角が生えた鬼は、江戸時代、浮世絵師の鳥山石燕が生み出したキャラクターです。「鬼門(丑寅の方角)にいる化け物」という、トンチのような発想で、鬼の頭に「牛の角」が描かれるようになりました。そうした変遷を辿って生まれたのが、「動く死体」とは似ても似つかない、牛の角と毛むくじゃらの身体、そしてシャープではない輪郭を持った「日本の鬼」なのです。

ひとつの漢字から広がる、知的な世界。

私の授業では、普段当たり前に使っている字を辞書で確認するという作業を丁寧に行います。例えば、「猫」。この漢字を音読みする場面は日常的にはまずありませんが、「ビョウ」と読みますが、古い呉音では「ミョウ」とも読まれておりました。直感が働くと思いますが、鳴き声がそのままその動物の名となっていますね。ここから考えられるのは、これらの漢字が生まれたとき、中国に「動物は自分の名前を声で発している」と考える世界観があったということ。重要なのは漢字が持つ意味を正しく理解することばかりではなく、その世界観を感じ取ることだと思います。

「漢字」が秘める物語×濱田寛教授

もうひとつ、よく例に出すのは「心」です。この漢字の1画目の点は左心房、2画目の中心に伸びる線は動脈を表し、1文字で心臓を形作っています。つまり心という漢字を書くことは、心臓そのものを描いているのと同じことなのです。ここまでは、ただの漢字の雑学。考えなくてはいけないのは、「ではなぜ、漢字をつくった人々は心臓の形を知っていたのか?」という点です。「心」という文字で心臓の形をかたどって表現できたのは、その時代に既に動物の解剖を行い、心臓がどんな形であるのか知っていたからなのです。一つの漢字からその文字に刻印された世界に踏み込んでいくところに、大学での学びの面白さがあると思います。

私たちが日々、当たり前のように使う漢字の一字一字には深遠な物語が秘められている、と学生たちにはよく伝えています。漢字を見た瞬間に頭の中に広がる古典の世界。その面白さを知らないまま、この文字を使っているのはとてももったいないと思いますね。

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