爪の先ほどでも前へ 木下綾子爪の先ほどでも前へ 木下綾子

Ayako Kinoshita

木下 綾子准教授

プロフィール

聖学院大学人文学部日本文化学科准教授。明治大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。明治大学文学部兼任講師、同研究推進員(法人PD)などを経て2015年4月より現職。和漢比較文学会理事、全国漢文教育学会編集委員。平安文学を読み解き、考える楽しさを伝えるため、小学生向けのくずし字・百人一首講座や、社会人に向けた源氏物語の講座を開く。

  • 専門分野

    平安文学、日本漢文学、日中比較文学

  • 研究テーマ

    源氏物語とその注釈書の研究、平安朝漢詩文

  • 講演可能なテーマ・ジャンル

    • 源氏物語と漢詩文(源氏物語と長恨歌、光源氏の須磨流離と菅原道真の左遷など)
    • 源氏物語と歴史
    • 源氏物語と注釈書の世界
    • 源氏物語全般
    • 平安時代に日本で作られた漢詩文(特に菅原道真の作品)
    • 漢字伝来から仮名創出へ

取り組んでいる研究について
詳しく教えてください。

『源氏物語』には、9世紀初頭の唐の文化・政治思想に基づいて文化政策を進めた嵯峨天皇の時代や、さらにそれを引き継いだ9世紀末の菅原道真や宇多天皇、醍醐天皇の時代が反映されているという説があります。その説に立脚して、同時代に作られた漢詩文をはじめとした文学、史書、記録、仏典を読み解くことで『源氏物語』に映し出されている思想を研究しています。対象とする書物は多岐にわたりますが、特に9世紀初頭に唐で成立した白居易の「長恨歌」は、『源氏物語』の全編にわたって引用されており、理解を深めるためのベースとなる作品ですね。

また、時代をさかのぼるだけでなく、平安末期以降に数多く作られた『源氏物語』の注釈書を読み解くことも、この研究を進めていく上では欠かせません。私の研究では主に室町時代のものを扱いますが、古典の世界には中国の伝統的な文学観による「文学は政治に奉仕するもの」という考え方がありました。注釈書には時代情勢や教養、イデオロギーが映し出されており、現代では考えられない『源氏物語』の解釈が見て取れるのです。注釈書から汲み取れるその時代の思想や風潮は、私たちの感覚では分からない部分を理解していくための重要な足がかりになるのです。

『源氏物語』が書かれる前の時代と書かれた後の時代、両方の時代を行き来しながら、その表現と思想を追いかけています。

現代を生きる私たちが、
はるか昔に書かれた文学作品の原本に触れる意義はなんでしょうか?

現代において活字になった作品に触れているだけでは、作品の豊かな世界を捉えきれません。

例えば、同じ『源氏物語』でも、多種多様な写本が生み出され、のこされています。それぞれに表現の違いがある以外に、書かれた物が巻物なのか冊子なのか、どんな装訂なのか、料紙は、墨は、訓点(漢文のカナ、返り点、ヲコト点)はなど、原本でしか知り得ない情報がたくさんあります。活字になるとそういった貴重な情報も削られてしまいます。ですから、古典を学ぶのであれば、やはり原本を見るべきだと思います。

また、原本が現存しているということは、これらを研究したり愛好したりしたほか、戦乱や災害から守り、きれいな状態を保ったまま次の世代へと受け継いできた人が各時代にいたということを意味します。現代を生きる私たちも、過去から受け継がれてきた古典の資料を、未来へと渡すまでの少しの間だけ、借りているようなものなのです。自分たちがいなくなった後を生きる人たちのために、これらを守り、のこしていかなくてはなりません。そのためにも原本に触れ、自分で古典を紐解いていく面白さを知り、その価値を理解してほしいのです。価値を知らないままでは、長い間大切に持っておくことなどできません。次世代を担う学生や子どもたちに文化を継承していく者としての自覚を芽生えさせるためにも、原本に触れる意義はあると思います。

著 書

  • 人物で読む源氏物語 18 匂宮・八宮(共著)

    室伏信助(監)・上原作和(編) 勉誠出版 (2006年11月)

    分担執筆。論文「八宮家の琴と箏─皇統と楽統を紡ぐもの」において、『源氏物語』第3部の登場人物、八宮が自家を象徴する楽器としては皇統を表す七絃琴ではなく箏を選んでいるものの、そのことが姫君の中君と匂宮との婚姻を導き、結果的には自家を皇統や楽統として復帰、存続させていることを論じた。そのほか、八宮に関する先行研究を分野別に意味づけし、今後の課題を示した「研究史─八宮」を担当した。

  • 国文学「解釈と鑑賞」別冊
    源氏物語の鑑賞と基礎知識 vol.35 若菜下(後半)(共著)

    鈴木一雄(監)・日向一雅(編) 至文堂 (2004年6月)

    分担執筆。古代中世の女人往生について論じた「「女の身」とその救済」、女三宮懐妊の源泉を神話に探った「一夜孕み」、恋文の文化史「恋文の作法」、原本の写真を掲載し、その箇所の翻刻と書誌情報を紹介した「影印本を読む─各筆源氏本「若菜下」(伝日野俊光筆)」、本文後半の「語句解釈」を担当した。

  • 国文学「解釈と鑑賞」別冊
    源氏物語の鑑賞と基礎知識 vol.24 澪標(共著)

    鈴木一雄(監)・日向一雅(編) 至文堂 (2002年10月)

    分担執筆。原本の写真を掲載し、その箇所の翻刻と書誌情報を紹介した「影印本を読む─三条西家証本「みをつくし」(日本大学図書館蔵)」を担当した。

論 文

  • 光源氏と冷泉帝─「天に二日無し」という典拠と準拠

    中古文学(95)14-25 (2015年6月)

    『源氏物語』の第1部をしめくくる藤裏葉巻において「太上天皇になずらふ御位」となった光源氏と秘密の子、冷泉帝が一対の光に喩えられ、源家の子、夕霧もまた並び称されていることについて、古注釈書が典拠として取り上げた『礼記』の「天に二日無し」を端緒として、派生表現である「一天両日」や「二天」が太上天皇をめぐる歴史資料や漢詩文に見えることを指摘し、光源氏の王者性や父子関係、系譜意識がどのような意味をもって描かれているかを論じた。

  • 菅原道真と醍醐天皇─『菅家後集』四八二 「九月十日」の帝王像

    明治大学 古代学研究所紀要(16)1-15 (2012年3月)

    菅原道真が延喜元年(901)に左遷先の大宰府で詠じた「恩賜の御衣は今此に在り」の詩(『菅家後集』482「九月十日」)と、そこで回想される前年の昌泰3年(900)重陽後朝宴から読み取れる醍醐天皇と道真の関係について考察した。従来の説と異なり、昌泰3年の重陽後朝宴には醍醐天皇の父、宇多法皇が不在であり、当該宴が醍醐の主催した最初で最後の重陽後朝宴であると指摘した。そして、これが道真の醍醐に対する詩教育の集大成であり、好文の王と詩臣という理想の君臣関係の完成した場であると論じた。

  • 嵯峨上皇と淳和上皇
    ─『日本後紀』序文の「一天両日」と堯・舜の喩を起点として─

    明治大学大学院 文学研究論集(26)181-194 (2007年2月)

    承和8年(841)修訂の『日本後紀』「序文」に見える「一天両日」が、天長3年(826)の父、桓武天皇の追善供養を主催した嵯峨太上天皇とその弟、淳和天皇を讃える空海の漢詩文に基づくことを指摘した。この表現が嵯峨と淳和の紐帯を強調するほか、それぞれの子で両統迭立の危険性をはらむ仁明天皇と皇太子恒貞親王の権威を謳いつつ、両統のあやうい均衡を保とうとする意図が込められていると解釈した。

その他

  • 報告書
    『和漢朗詠集』の伝本と本文享受の研究(共著)

    共同研究(特定研究〈若手〉)研究成果報告、
    大学共同利用機関法人人間文化研究機構国文学研究資料館 (2018年3月)

    『和漢朗詠集』とは中国と日本の漢詩、和歌をテーマ別に分類した名詩選であり、『源氏物語』と同時期に藤原公任によって編まれた。後世、教養書や入門書、習字の手本と見なされたため、膨大な写本が存在する。そのうち、室町時代までの伝本53本を調査し、その本文を平安末期の最善本である粘葉本(でっちょうぼん)と比較検討し、異同を示すことで、本文がどのように分かれ、享受されていったかを明らかにした。初翻刻の資料を含む。

  • 資料集
    源氏物語についての近世儒教言説資料集
    ─付録:著者・資料名総覧(年代順)/著者名索引/資料名索引(共著)

    明治大学 古代学研究所紀要(19)2-171 (2013年7月)

    近世300年間にわたって儒学者・国学者・文人が『源氏物語』について著した、儒教思想に基づく言説と漢詩文とを網羅的に収集し、成立年・刊行年順に提示した資料集。先行研究に言及があるものは、すべてその旨を記した。本著によって、従来、本居宣長の「もののあはれ」説に席捲されたと考えられてきた近世源氏学が、依然として中世の儒教思想的な論調に強く影響されていたことが実証できた。初翻刻の資料を含む。

関連するSDGsのゴール

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