杉淵洋一 准教授杉淵洋一 准教授

プロフィール

聖学院大学人文学部准教授。秋田県出身。青山学院大学文学部日本文学科卒業、フランス国立パリ第3大学大学院文学研究科比較文学専門修士課程修了、名古屋大学大学院文学研究科日本文化学専門後期博士課程後期単位取得満期退学。博士(文学)。2015年度~2020年度 愛知淑徳大学初年次教育部門講師、2020年度~2022年度 明桜高等学校(秋田県)国語科教諭、2022年度より現職。その他非常勤講師経験等多数。

  • 専門分野

    近代日本文学、比較文化・比較文学、文学理論

  • 研究テーマ

    有島武郎及び周辺人物たちの欧米体験と西洋受容、有島武郎の小説『或る女』が1926年にフランスで翻訳された経緯について、有島武郎と学生サロン「草の葉会」参加者との関係について、雑誌『種蒔く人』の創刊とディサイプルス派の秋田伝道の関連性について

  • 講演可能なテーマ・ジャンル

    • 作家・芹沢光治良のフランス体験について
    • 有島武郎の草の葉会と鶴見祐輔の火曜会
    • 日本の知識人たちが体験したパリ~開国から戦前を中心にして~
    • 反戦平和雑誌『種蒔く人』はどのようにして秋田で1921年に誕生したのか
    • 渡仏日本知識人たちと現地の社会・労働運動家たちとの交流

取り組んでいる研究について詳しく教えてください。

有島武郎とその周辺の人々が、フランスを中心とした西洋の思想家の影響をどのように受けたか、そして有島の小説『或る女』の仏語翻訳版がフランスでどう受け止められたのかを軸に研究を行っています。

明治から昭和前期の日本の知識人は、当時、文化の中心地であったヨーロッパから多くを吸収しました。有島も哲学者のアンリ・ベルクソンやキリスト教の考え方から影響を受けています。日本の外のことを視野に入れて日本文学をとらえると、それまで見えなかったものが見えてくることがあるのです。

例えば、日本で子どもたちに長く読み継がれている『ファーブル昆虫記』。あの作品と著者のアンリ・ファーブルは、フランス本国では日本ほどの知名度があるわけではありません。実は、『ファーブル昆虫記』を最初に翻訳したのは無政府主義者の大杉栄です。彼が甘粕事件で殺されてからは、仲間がその遺志をついで翻訳を完成させました。彼らの情熱の背景には何があったのか。彼らは、政府のような国家をまとめる統括機関がなくても相互扶助の精神により回っていく昆虫の世界に理想の社会を投影していたことが分かっています。この翻訳版が、日本でのファーブル人気の礎となりました。

有島武郎は、この大杉栄にも金銭的な援助をしています。作品のイメージから、繊細な文学者という印象がある有島ですが、実は、大柄で明るく、周囲の知識人や文学者をつなぐハブ的な役割を果たしていました。有島武郎イコール白樺派という人物像を覆し、日本の近代化で大きな役割を果たした人物として再定義するのが私の研究の大きな目標です。

文学研究の中に、今日のグローバリゼーションやSDGsにつながるヒントはありますか?

1921年に秋田県で創刊された『種蒔く人』は、反戦平和・人道主義を基調とした革新的な同人雑誌でした。この雑誌について研究し、共著で本も出版していることから私も創刊100周年の集いに参加したのですが、その場で新聞記者の方と議論になったのが「なぜ、当時、都市部から遠く離れた秋田で、近代の萌芽を予感させるこのような雑誌が興ったのか?」ということです。ひとつの可能性として考えられるのは宣教師の存在でした。

キリスト教の伝道を行う宣教師は、同時に西洋文化の窓でもありました。この地には、1885年にプロテスタントの一派であるディサイプルス派の宣教師たちによって秋田英和学校が設立されています。彼らの教えが、秋田に西洋的な人道主義の基盤を作ったことは想像にかたくありません。実際に、『種蒔く人』を創刊した3人のうちのひとりである今野賢三は、1911年にディサイプルス派の洗礼を受けています。

赴任してから分かったのですが、私が研究してきた『種蒔く人』と聖学院大学には深いつながりがありました。1884年に秋田にやってきて、伝道しながら人道主義を広めた宣教師のひとりこそ、聖学院の祖であるチャールズ・E・ガルストだったからです。大学の図書館で当時の資料を発見した時は、不思議な縁を感じました。ガルストは、『種蒔く人』の創刊メンバー・小牧近江の父親にも秋田の近代化について助言を行っています。

明治から昭和前期の日本人が、西洋の価値観や人道主義を受け入れ、伝統的な日本を再発見する経緯を研究することは、今日の私たちが世界の多様性を受容し、自分や自国だけでなく、みんなが暮らし続けられる持続可能な社会の在り方を探る上でプラスになるのではないかと考えています。

著 書

  • 有島武郎をめぐる物語

    杉淵洋一 青弓社 (2020年)

    有島武郎の代表作とされる長編小説『或る女』の前編が、1926年にパリ駐在の外交官・好富正臣と親日家のフランス人・アルベール・メイボン両氏によってフランス語に翻訳され、当地の出版社から刊行された経緯や意義について考察した。また、有島が晩年・学生たちを集めて開催していた〈草の葉会〉について、有島の人間関係や参加者などの証言からその実態に迫った。また、有島と父、有島と三人の子供たちとの関係から、有島、そして有島家の教育の在り方の時代に鑑みた特質性を明らかにした。

  • 文化表象としての村上春樹

    【共著】石田仁志/アントナン・ベシュレール編 青弓社 (2020年) ※第9章「震災の内側と外部をつなぐもの」執筆

    阪神淡路大震災をモチーフとした村上春樹の短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』や村上が震災を語ったエッセイなどを、湊かなえ、綿矢りさ、多和田葉子などの現代作家の描く震災をめぐる小説と比較しながら解釈していくことによって、村上が作家としての被災者たちとの連帯の在り方をどのように考えているのかについて検討した。その一方で、1923年の関東大震災の直後に白樺派などによって描かれた小説とも比較し、震災の描かれ方にどのような歴史的な変化があるのかについて分析を行った。

  • 『種蒔く人』の射程

    【共著】「種蒔く人」顕彰会編 秋田魁新報社(2022年) ※「『種蒔く人』の精神を受け継ぐもの」執筆

    日本におけるプロレタリア文学作家の嚆矢であり、1921年、秋田での反戦平和を謳う雑誌『種蒔く人』創刊に際して、中心的な役割を果たした小牧近江が、1956年にイギリスで開催された国際ペンクラブの大会のついでに立ち寄ったフランスでのファーブル昆虫記の翻訳者・椎名其二との交流から、レオナール・フジタや野見山暁二といった当時のパリを中心とした日本人コミュニティーの一端を、書簡や先行文献などから明らかにしていった。また、そこから、日本の〈秋田〉という土地が担ったプロレタリア文学を生み出した風土について検討した。

論 文

  • 一九二二年夏、有島武郎の秋田訪問をめぐって

    日本社会文学会編『社会文学』第56号、不二書房(2022年)

    人気作家となっていた有島武郎は亡くなる約1年前の1922年8月末に、地元の人たちに講演を請われて〈秋田〉の地を訪れている。その際の有島の足取りを書簡や本人の日記などから明らかにしていくことによって、有島の講演を聞きに集った人々、特に雑誌『種蒔く人』同人たちへの有島訪問の影響について考察した。また、当地の新聞である『秋田魁新報』に掲載された有島の秋田訪問をめぐる記事から、有島が登壇した講演の内容や当地の人々との交流の実態について可能な限りでの文章化を試みた。

関連するSDGsのゴール

★学校法人聖学院はグローバル・コンパクトに署名・加入し、SDGsを目指した活動を行っています。